ニコラ・テスラの知られざる10のこと

tesla-159.jpg7月10日は、ニコラ・テスラの誕生日でした。
生誕159年です。
電力・無線・インターネット・携帯電話等の、生活の基盤の他
すばらしいご利益のある、
テスラ・ペンダントや、テスラ・プレートなど
私たちは、ニコラ・テスラの発明の恩恵をこうむって、生活していますが
「ニコラ・テスラについて知らなかった10のこと」
という記事をみつけましたので、拙訳して、ご紹介します。



1. テスラは、環境保護主義者だった。
lightning-in-labo.jpgこの発明家は、地球資源の消費を懸念し、
再生可能燃料の支持者だった。
彼は、人間の化石燃料消費の影響を、最小限にとどめるために、地面や空間の、自然エネルギーを使用する方法を研究した。
実際にテスラは、研究所で、雷を生成していた。
2. テスラは、雷鳴とどろき稲妻走る、嵐の晩、産まれた。
テスラは、1856年7月9日から10日にかけての深夜、
非常に強烈な雷嵐の中で、誕生した。
産婆は、これを悪い予兆とみて、「闇の子」と言った。
怒ったテスラの母は、すぐに答えた。 「いいえ、彼は光の子です!」 (いいぞ! テスラのママ!!)
3. テスラは、ヒューマニストだった。
テスラは、人間の生活の質を改善するために、尽力してきた。
彼の多くの発明や、社会への貢献にもかかわらず、彼が貧しいまま亡くなったのは、
金銭的な利益のためでは、なかったからだ。
4. テスラは、1901年には、スマートフォンの構想を、開発していた。
テスラースマホ.jpg大西洋間ラジオを開発している間、
彼は、情報を収集し、それをコーディングし、ハンドヘルドデバイスで、その情報を送るシステムを想定していた。
そう、私たちが今、モバイルインターネットとして、
手にしているもの・・・スマホだ。
テスラは、個々のユーザーが情報を受け取れる、情報改革を
最初に、思い描いた人である。
5. テスラは、写真を撮るように、記憶できる人だった。
テスラは、記憶を、はっきりと目に浮かべることができた。 
これは、彼が、本を丸ごと、非常に詳細な映像までも、思い出すことができるということだ。
それだけでなく、彼には、強力な想像力があり、
子どもの頃悩まされていた、リアルな悪夢をコントロールするために、その想像力を使っていたという。
6. テスラには、有名人の友人が、多かった。
人々は、彼が自然保護主義者のジョン・ミューアと親友だったことに、気づいていない、
この自然保護団体の創設者は、テスラのクリーンな水力発電システムを愛し
自然界の歯車の上で、行われていると、賞賛していた。
また、彼の友人には、財産家のヘンリー・クレイ・フリックや、トーマス・フォーチュン・ライアンがおり
「彼は、ウォルドルフ・アストリアホテルに住み、”金ぴか時代”の高みにいた。」と言う。
その名声は、のちに、だいぶ削られることになるが・・・。
作曲家ドヴォルザークや、ピアニスト、イグナツィ・パデレフスキ、オペラ歌手のネリー・メルバ、ジョージ・ハーストのような政治家や、物理学者のミカエル・ピューピンや、X線の発見者レントゲンなど、多岐に渡る有名人の友達がいた。
7. テスラは、強迫性障害で、不眠症だったかもしれない。
彼は、睡眠は夜2時間だけ必要だと言っていたが、これは2時間で充分だったのか、もっと眠りたくても眠れなかったのか、定かではない。
また彼は、数字の「3」にこだわりがあり、食事前に、彼のテーブルでは毎回、18枚のナプキン(3で割り切れる数)が使われた。
10代の頃、コレラにかかり、生死をさまよった経験が、異常な衛生観念を植え付けたのかもしれない。
tablepic.jpgまた彼は、丸いもの、ジュエリー、そして髪に触れることを嫌い、特に真珠をつけた女性とは、話もしなかった。 
ある日、秘書が真珠をつけてくると、その日は家に帰してしまった。
どうしてそこまで嫌悪するのか、誰も知らない。
しかし彼には、独特の美的センスがあり、
ディナーには必ず白い手袋をはめてドレスアップし
写真を撮られる時は、アングルを計算しつくしていた。

8. エジソンとテスラは、敵同士ではなく、良きライバル
エジソンとテスラを、敵同士として想像するのは、楽しくてしょうがないだろう。
テスラは、エジソンの会社で、直流発電機の設計に協力し、
彼の夢である、交流誘導電動機を追求するため、辞めたので、「電流戦争」と言われたが、
しかし実際には、現代のスティーブ・ジョブズと、ビル・ゲイツのような、
互いに尊敬し合う、良き「ビジネス・ライバル」であった。
エジソンは、テスラのプレゼン会場に、目立たないよう聴きに来ていたが
テスラはエジソンをみつけると、聴衆に、敬意を表してスタンディング・オベーションするよう促した。
エジソンは、最初、9歳年下のテスラを認めていなかったが、しだいに、尊敬するようになり
テスラの研究所が、火災で焼失した時、エジソンは、テスラに研究所を、提供している。
9. テスラは、マーク·トウェインの抱えている問題を、解決した!?
エキセントリックなテスラにまつわる伝説に、
彼は、地震マシンを持っていて、実験の間中、
マンハッタンの彼の研究所の近隣を、揺さぶっていたという。
実際には、地震マシンではなく、効率的な電気を生成するために、変動高周波発振器を、使っていたのだ。
ある日、著名な作家マーク·トウェインが、消化器系の問題(便秘)を抱えていることを知り、彼を、実験室に招いた。
彼に、プラットフォームの上に立つよう指示し、
変動高周波発振器を、ONにすると・・・90秒後
トウェインは、飛び降りて、トイレに急行した。
10. テスラは、ホントに面白い人だった。
ほとんどの人は、テスラが素晴らしいユーモアのセンスを持っていたことを、知らない。
例えば、作家で詩人のノーベル賞受賞者キプリングと食事した後、彼は親しい友人に、こう手紙を書いた。
1901年4月1日 親愛なるジョンソン夫人
しょうもない作家、キプリングに、いったい、何があったんでしょう?
スープに髪の毛やゴキブリが入っているような、無名のホテルでの食事に、私を招待するなんて。
                                   


テスラ先生の、最後のジョークは、私には理解しかねますが
確かに、The Man Who Invented the Twentieth Century (English Edition)でも、
かなり、やんちゃで、イタズラ好きで、マーク・トウェインがトイレに急行した時など
「お腹を抱えて、笑い転げたいところ、神妙な顔をして通した。」
なんて、言ってました。

テスラ博士は、何だか、神経質で、気むずかしい印象がありますが
彼は、非常にヴァイブレーションの高い人だったため、
ヴァイブレーションの低い人と接触すると、不調をきたすので、
髪を触るなんてもちろん、握手もはばかったそうです。
ニコラ・テスラは、動物を飼育し食べることが、浪費的で、耐えられなかったと言います。
すべての栄養素は、植物からだけで充分であるという、確信を持った菜食主義者だったのです!
真珠も、動物を飼育して食べることと似ているから、はばかったのでしょうか・・・?
ヴァイブレーションが高いから、短い睡眠時間でも大丈夫で、菜食主義だったのでしょう。
最後に、テスラの親友、ロバート・アンダーウッド・ジョンソンの詩を、ご紹介しましょう。
テスラの研究室にて
TeslasLaboratory.jpgこの暗闇の中で、どんな気味の悪い数字を押すのか!
過去の幻ではない、また、恐ろしく、悲しい幽霊でもなく
悲哀に泣き叫んでいる亡霊でもない。
白くまとい、さすらう群集の、声にならない苦悩
告白されることのない罪
かきまぜられた海には、何の形骸もなく、何も加えられることもない
生と死のリンク ― 涙もこぼれぬ狂気
生きるも死ぬも 退屈な虚無でしかない
しかし、祝福された魂たちが、生まれるのを待っている。
思考は、物事を縛った足かせを 解き放つ
良くなる時代 宇宙的な善
その微笑みは、夜明けの喜びのようだ
なんてフェアに、なんて近く なんて切なげに
彼らは巣くうのか
聞いてごらん! 天使の羽音を
              (拙訳 失礼しました!!<(_ _)>)